noah777のブログ

ミッションノア

希望と永遠のいのち

昨日テレビで桜がもうさいているという話を聞いた。
つい最近、雪がまたふったりしたがどうやら長い冬が終わり
これから春がやってくるようだ。
冬があるから春が素晴らしく感じるように
信仰生活も試練があるから人生はますます素晴らしいもの
に感じていくであります。
きょうもお互い励まし合って信仰生活を送りましょう。
この間路傍伝道ネットワーク東中野駅で、眼が見えない
クリスチャンとであった。
眼が見えないのに、杖を一本持ち階段を下りて来て、そして私達が歌
う神への賛美を隅っこで静かに聞いていた。
私ははじめ未信徒の方だと思い、近くに寄って歌を歌った。でもろぼ
う路傍伝道してる仲間の1人の友達であったのだ。
彼女は、これから教会に行く途中だったという。
そういえば、ヘレンケラーも目も耳も口もきけない状態であったが、
アン・サリヴァンに教えられ言葉を話す事ができるようになったばか
りか、ハーバード大学に入り日本にも2度程来ている。この間私が親し
く人いる牧師の夕拝に参加した。
そこで、神戸ルーテルの谷口先生のお話を聞かせて頂いた。
彼はヒューストン大学卒業し病院のチームの一員であった頃がく癌早
くいうと顎の癌だとおもいますが、の人に会った時、覚悟はしていた
ものの狼狽したのだという。
顔が変形してしまい、むごい姿を見て人は神にすがる以外に解決を見
出す事はできないとのだと痛感したのだそうだ。
また病院で助からない人がいる場合日本では死の宣告はあまりしない
ある時高僧ならばと思いご自身の病気の事告げるととりみだし、自殺
してしまったのだという。私達は健康で仕事も順風満帆だと人が罪人
でありその結果死ぬという事実を忘れてしまう。そして、霊による実
よりも、この世の快楽や自己の功績を求めていき、神に感謝するにし
ても、神を心の中心にいれず、自己の思い中心に生きて、神に祈る方
が多々います。
この世の人の心は、万華鏡のように変わりやすい。しかし、唯一変わ
らない事があります。
それは、主・イエスの十字架の愛、そして神の律法です。私達は使え
ばなくなってしまうお金や物や欲望の炎の中に生きて
いる事に気づきません。ロ6;23罪から来る報酬は死です。しかし神の
くださる賜物は永遠の命です。ロ9:12 兄が弟に仕えるとあります。
罪は、高ぶり高慢から来る事が多いと私は思う。
しかし先ほど語ったように、病気や愛する人との死別などを通し、
苦しみを通して罪を犯す場合もあります。
しかし、そんな時に人は無常な存在であると思い出してみてくださ


希望と永遠のいのち 1



伝道者の書1:2 空の空 伝道者はいう。
全ては空日の下で労苦をしてもそれが人に何の益になろう。
けれども私達の主・イエスキリストは、十字架のかかり、私達
の罪身代わりになられたのです。
信仰希望愛の中で希望は2番目にあります。
愛はもっとも偉大です。
愛は全ての罪を覆うからです。
しかしその愛は本来的な自己でなければならない。
私達は生まれた時2つの神からのプレゼントを受けます。
肉体と心です。
私達には、霊が授かっているだから死んで肉体を失っても魂
は永遠にいきるのである。
私は、以前武藤 健 たけしと読むが説教集神との対決を買って
よんだ事があり、その中に私が感化された言葉があるので紹介しま
す。


武藤 健 
東京帝国大学文学部、アメリカ合衆国ノースウェスタン大学大学院、


ベルリン大学で神学の勉強を続ける。
信仰生活というのは、永遠に希望を持ち続けるどのような事があって


も希望を失わない、例え倒されてもゆき詰まって絶望しない。
また信仰生活とは過去の罪からの脱出であるドア時な使命感に生きる


事であるという。
教会では洗礼と聖餐式がある。洗礼の前に罪の告白があって主・イエ


スを受け入れ初めて救われたものと証明されるのである。
しかしここで私ははっきり言う信仰生活とは継続する事なのである。


今日の教会で希望を持って信仰生活するとは何かと聞いたならば、
答えられる方は少ないのではないかと私は思う。なぜならば、信仰生


活は祈りから始まりそして聖書を読み神の使命感
にいきる事であるが、神の御心を行う時に困難があり苦難があるから
だ。私達が主の御心を行い神と共に歩むには、教会の仲間の助けがい
るのだが、愛の実践をしない人には関係ないし、何らかの病がありどう
しても神と人の助けを必要としない人には全く関係のない事で
ある。信仰を持って救いの希望を主の再臨を待ち望み、日々悔い改め
る事が大事であります。イグナチオ教会では、罪の告白する神父との場が


あり今の社会人はたくさんの人が並ぶのであるという。
プロテスタントでは、うつになる人が多いという。牧師のサラリーマ
ン化も大きく影響している。
牧師の仕事は説教がメインのように思われがちだが、心のケアも大事
な神へのほうしなのだ。
現代の教会は、音楽ゴスペルで人を呼び込もうとする傾向がありそれ


自体間違いではないが、人の本質的な罪の浄化は自己中心的な人の心


を変え愛を持って話しを聞き、そして共に聖書を開き祈る事が、信頼
関係を生むのである。
今日は希望は永遠の命であるというお話しをしました。
皆さん、神を信じる人が増えるリヴァイバル信じますか。それは一人
一人の親切思いやりと神の福音を伝える事
で実現します。説教と伝道する時の話し根本的に違う。私達の救いに
必要なのは、神の福音を全世界に伝える事です
あなたは何歩か歩き最初の一歩目には戻れない今日一日が新たな始ま
りなのです。
そしてその毎日の積み重ねを希望を持ってするととき神と共に住む新
天地 天国へ入る事ができるのです。