説教について
説教について
説教とは、何かというならば、聖霊の働きがなければ、説教と言えないであろう。
何故ならば、説教は牧師が語るというのではなく、牧師を通して神が語るからである。
説教について
幾つか必要なことを抜粋すると
1.例えから語る。
注意すべきは、主旨を明白に語る事である。
2.テキストと説教、説教どちらを優先するか?
キルケゴールが言うように、一方のキリストまた一方のキリストというが、今回について、どちらも正しい答えとは言えない。
何事にも神が用いる時がある。テキストを用いる時、説教重視する時がある。
しかし、テキストも、説教も、聖霊の働きにより得られた事であるならば、その両者から、得られた事を語る割合など、聖霊様により、判断されるべき事であり、牧師が決める事ではないからである。
よって、長い説教により、テキストを重視するとしても、短い説教でテキストより、説教を重視したとしても、両方が良い判断と言えるが、それというのも、神は生きた神であるように、説教も神の御言葉として生きているからである。
文字は殺し、霊は生かすとあるように、聖霊の働きがあり、正しい判断が可能となる。
3.スコラ哲学や弁証法
を用いるべきか
これに対しても、聞く側が理解できる事を語るならば、良いともいえるが、聖霊様により語るならば、相手の事を勘案して語る必要がある。
例えば土着民族に上述した話しが理解できないとしても、それを理解する人もいるが、基本説教は、誰にでもわかるように用いる必要がある。
4.自己を誇ったり、相手を鼓舞したりするのみの説教について
説教は、神により制定されるのに、人集めのために用いられる説教者に対しては、吟味して聖霊の働きがあるか判断が必要である。
注意も必要であるし、長老やしかるべき立場の牧師が、指摘する必要がある。
4.贖罪論と感動秘話的説教についてと説教のマネージメントについて
どちらが悪いという事はなくとも、贖罪を促さない説教にも問題がある。
癒し、救い、復活、教育、歴史理解、訓戒様々あるなか説教にもマネージメントが必要とされる事に気づいていない牧師は多い。
一年は12か月ある。
私達は学校で様々なことを分別を持って学ぶように、説教者は、例えばサタンや、罪に注意する事、リバイバル、福音、信仰による成功や癒しなどをバランスよく体系的に語る必要がある。
5.
説教とは、今その人に必要な事を語る必要がある。
聖書の、御言葉が黄金であるならば、黄金は、心である神殿を癒すためにあると言うことを牧師は忘れてはならない。
この事がない説教者は、牧師と言えるか疑問であるというのは、上述した事を、実現するには、神に忠実である人以外できないからである。
人が教会から去るからと言って、語らないならば、その説教が本当に教会のためになるのか疑問である。
チャールズ・ハッドンスポルジョンいわく、
信徒に都合の良い話しばかりして、人増やしのために心を配り罪を指摘しない牧師は、自分も地獄へ行くばかりか、信徒を地獄へ落とす結果となるのである。
※注意 (内容的には、上述した内容です。)
主イエスが真実を語り、弟子以外いなくなった箇所があるが、教会に人が去る、去らないという事で判断するならば、それは説教といえるか、懐疑的にならざる得ない。私達は、神の恩寵により救われたのであるから、間違えた説教でない限り、人に誉められたり、自己の生活のためや人の顔色を見て、牧師が説教するのではなく、キリストが語るという事、聖霊様にメッセージを委ねる必要がある。
今日は、説教について書きました。
主イエスを信じたならば、あなたは救われたのです。
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