noah777のブログ

ミッションノア

夕焼けの向こうの教会

中世のローマ・カトリック教会は、神の権威により、教皇が存在していた。
教皇が何をしようと、絶対的権利を持っていた。
教会の教えと恵みが重要視され、司祭が代理となり、とりなしの祈りや、徹夜でお祈りする事により、民の罪が許されるとされていた。
聖書を理解している人はごく一部で、信徒は神の恵みを受ける為、教会に頼り、司祭に頼り、献金する事により救われるとされていた。
その他にも、自己の罪の償いも必要であり、行いによる救いが、正しいと思っていた。
しかし、ルターの説いた、聖書中心、神中心だと、教皇も聖書に書かれている、神の御言葉に従わなければならない。
ローマ・カトリックに戦慄が走った。
自らの存在を、根底から揺るがしかねない事態が、ルターによって起きようとしていた。
グーデンベルグ印刷により、聖書を刷られてしまう。
こうして、ルターがドイツ語に聖書を翻訳して、ドイツの諸侯や民衆に伝わり、宗教改革がなされた。


時は流れ、1965年、小太郎が小学校の時、高度成長期と、オリンピック景気で、世が沸き立っていた頃、あちら、こちらに、団地が形成されて、一つの町が出来あがった。
いつものように、小太郎は学校へ行こうとすると、母が小太郎に、小太郎? 今日の授業参観日だけど、何時から?と話しかけながら、母は長い髪をドライヤーで琴のように、さらりと撫でて、快活な感じで、鏡をじっと見ながら、化粧💄をしていた。
ランドセル🎒を片手に持ち、パンを口で食べながら、小太郎は答えた。
母ちゃん、15時からだよ。
昨日も言ったじゃないか。
遅刻ギリギリでいそいでいるんだから。
絶対に来てよね。
小太郎の家庭は共働きで、父も、母も、忙しく、まだ、小学校6年でしたが、家庭のために、小太郎は新聞配達をしていた。
だから、いつも遅刻スレスレだったのだ。
町の中には車が走ってなくて、新聞配達をして子供が働いても、危険がなかったので、学校の許可が下りたのだ。
外側に車道が、団地を囲むように網羅されていた。
また、きれいに整頓された木々が、統一されていた。
近くには、子供が遊ぶ砂場にブランコがあり、町は活気に満ちていた。中央には、商店街、郵便局に、銀行、病院があり、沢山の人が行き交っていた。
小太郎はいそいで自転車に乗ろうとしたが、思いとどまって、主イエス様にお祈りをした。
神様!!今日も家族を守ってください。
私たち救われた事に感謝していますが、親戚の穂波ちゃんや、友達の寅次郎君、瑞穂先生が、まだ救われていません。
私たち家族が救われたように、あなたの愛で彼らを救ってください。
町の片隅には、小さな教会が建っていた。
教会には独身で、高校の先生であった、片岡先生が、いつも一人で祈っていた。
片岡牧師は、難しい哲学書と聖書を読み、いつも難しい顔をしていた。
僕にはそれがなんでだろーと思うのですが、教会学校では、いつもの暖かい陽気な牧師さんに戻るのだ。


時が経ち、52年の月日が流れた。
小太郎はサラリーマンになり、団地から離れて、1軒屋に住んでいた。
小太郎は、団地で20年育った。
仲間とは、同窓会でたまに会う。
教会には、行くのをやめていた。
歴史は神の存在を認められないほど、残酷非道だからかもしれないし、色々あったからとも言える。
しかし、満たされていた。
いつも、自分の思いで生きていた。
しかし、神様への祈りはやめてなかった。
そんな何気ない一時に、突如終わりがやってきた。


あれを忘れる事はできない。
突然の轟音と、共に現れた戦闘機により、爆弾が落とされた。
その時の爆風と潜熱で、町は跡形もなくなってしまったのだ。
国と国との戦闘は、7年続いた。
都会も、田舎も関係なく、人が当たり前のように倒れて、私たちは地下鉄の地下で暮らす事を、余儀なくされた。
クリスチャンであった豊田家は、非暴力を通していたので、迫害を受けた。
空は闇におおわれて、氷河期になってしまった。
罪の結果であろう。

神罰が下ったのだ。
この世は、絶望しかなかった。
キリスト教に改宗した人達は、いつも夢を見ていた。
ふるさとに訪れた時に、落とされた爆弾により、町は跡形もなく消え失せて、教会もなくなったが、

いつしかもとに戻せないものか願っていた。

しかし、人は戻らない。
今は神を信じるしかない。
天国、それだけが希望であった。
この世は絶望しかなかった
父も、母も、妹も、亡くなった。
友達のほとんどは、戦争で亡くなったと聞いていた。
世界が終わる3日前、私は夢を見た。
子供の頃にあった、授業参観日の夢だ。☺️


あまりにも克明に見える夢だったが、黙示録のラッパが鳴り、目が覚めた。
2025年7月24日は祭りの日だった。
2024年6月に休戦協定を結び、プレハブ小屋で暮らしていたが、1年たち経済も少し復興し初めていたので、祭りが出来たのだが、このひと時が、神様からの最後のプレゼントだったのだ。


私は浴衣を来て、お面を頭に掲げていた。
そしてあたりを散策していた。
はしゃいでいる、子供たちや、酒に酔い、楽しそうに縁日を楽しむ姿を満喫しながら、盆踊り大会に参加していた。
誰もが、このまま、時が止まれば良いのにと、思っていた。
ただ、ひたすら、民衆は涙を流しながら、踊っていた。
私は、次の朝の日曜日に礼拝に参加した。
私は、牧師になっていたから、説教を準備していた。
突如、市役所から町中で、スピーカーで流れた言葉に、私は愕然とした。
危険な猛毒が世界に流されたのだと言うのだ。
首謀者は科学研究者で、この世に愛想を尽かしたという理由で、このような事をしたのか?
なぜ、人類を絶滅させようとしたのか?
理由は分からない。
この猛毒が世界を滅ぼすのに、後1日だという。
教会は人々で満杯となった。
といっても、もともと主イエスを神と信じていた者だけであったが、私たちは賛美を始めた。
天と地は裂きわかれ、天使たちが降りる時、人々は仰ぎ見ぬ。
再臨の主イエスをという賛美歌を、皆で歌っていたが、血を吐いて倒れる人達が出始めた。
終わりのラッパが鳴ったのだ。
黙示録の予言が成就したのだ。
私たちは神に祈り、歌い続けた。
神よ、私たちの罪を許してください。
どんな償いもします。
あなたの命令の通り何でもしてきました。
何でもします。
私たちは何度も、神を忘れて罪を犯しました。
しかし、神よ!! 私の希望、それは主イエスの十字架なのです。
そして世界は終わりを告げ、人類は滅亡した。


ふと、目が覚めると、そこは暖かい黄金の世界かと思いきや、普段の日常であった。
しかし、嬉しい事に団地が、子供の頃と同じ姿で建っている。
幾つか違う所というと、皆白い衣を着ていて、大きな教会が、町の中央にあることだ。
私は、60年ぶりの我が家に帰ると、そこには、亡くなった父母、妹がいるではないか?
しかし、善行を行うといっても、神様の律法を無視していた人、聖書に書いてある事をしていると言っても、神様に聞き従わず、自己の都合で牧師や伝道をしていた人達は、何やら主イエスと争っていた。
彼らは、あなたのため命懸けだったのだといい始めて、ジダンダし始めた。
しかし、神様はこういった。
私はあなたに、こんなにも多くの物を与えた。
しかし、私の命令を無視して自分の好きな人や、
自分に利益をもたらす人にだけ与えてきた。
私は、裕福なあの人達に、届けてほしいと言わなかった。
それよりも、貧しく困っている、あの宣教師に与えて欲しかったのだ。
辛口なことも言うし、時に献金をねだることもあったかもしれないが、私は彼に与えたかったのだが?


私の預言者、天使を、あなたが無視していたから、あの時、あなたに真理と救いを与えるはずの、宣教師は死んでしまった。
善意とは何か?
このように、あなたに教えたのではないか?
それは、相手のはなしを聞き、それをする事であると言ったのだが?
神への奉仕とは何か?
神を恐れ、畏れ敬い、その時、私が望む、命令を成すことではないか。
あなたも病気で寝込んでいるとき、厚かましく、一緒に家の片付けするから、親切にしたいので、家に入れてくれと言っても、一人でいたいし、頭が痛くて辛いから、帰ってほしいと頼まないだろうか?
あなたは私のしてほしい事を完全に無視して、勝手に生きてきたのだ。
己の腹で信仰していたのだ。
聖書にはこう書いてあると言いながら、自分の肉慾や思いを捨てないでいたから、私に迷惑をかける事になったのだ。
何度も、何度も、忠告したはずだが?
あなたは、夢や警告を全く聞かなかった。
だから、私もあなたの過ちに気づかせるため、あなたに語らなかったのだ。
また、ある牧師に神様はこう答えた、
あなたは、悪魔にそそのかされ、金につかえていたのだ。
地位を手に入れるため、牧師を選ぶ権利のある、長老を金で買い、息子を牧師にするために、賄賂を送ったのだ。
あなたはその息子が怠け者で、生活のために、私を利用する者であると知っていたのに、牧師も、神学校も、私の言う事を聞かずに、僅かなお金の為と、息子の地位や生活のために、悪を行ったのだ。
創造主(主・イエス)である、私はそのような事をしなさいと言った事もないし、誰でも主よ、主よ、という者が、天国へ入れるわけではないと、言わなかったであろうか?
また、あなた方は忠告した人の言葉尻をとらえて、忠告した人を罠にかけるが、善行も、悪行に見えることも関係ない。
私が彼らに命じて、あなた方に忠告させたのだ。

神の御言葉を聞くだけで、偽りの祈りをした後、行わないのに、どうして、あなたは私を信じていると言えるのか?
預言者を通して語られた、御言葉に聞きしたがい、祈り、行い、私を信じていた人が、天国へ入れるのだと、私は聖書でハッキリと伝えたのではないか?


私はあなた方を知らない。不法をなすものたちよ、立ち去れというと、天に雷がなり、不気味な風が吹いてきて、彼らは何処かへ、吹き飛ばされて言った。


どうして、あのとき善意で語られた人達を、神が遣わされた預言者として、御言葉の使者として認めなかったのか?


私は、はっとした。
私が命令されて神からつけた教会名は、ノア教会、ミッションノア、ノアの会と名付けいたのだけど、ノアのように正しく生きるとは、神の命令に聞きしたがい、牧師や長老を敬い、平和と秩序を保つ事、これが生命の小道であったのだ。
亡くなるまで、私が主の聖霊によって、語った事はあなたの言葉だったのですね。
教会はノアの箱舟だったのだ。
そうだ、再臨を待ち望み、全世界に福音を、父母を敬うごとく、私が与えた地位で謙遜につつましく生き、皆と励まし合って、教会生活を敬虔に送っていた、あなた方は今その報いを受ける。
これから、神である私と、あなたの愛した人達との永遠の時が、待っているのだ。
今日も1日が始まる!
何も変わらない1日が!!
ハレルヤ!!罪の縄目から解放されたのだ。
罪のトゲは、取り除かれた。
飢えも乾きもない。
日曜日に礼拝へ行くと、なんと!! そこには殉教したヤン・フスが、500年前に亡くなった、ルターがいるではないか。
他の教会には、賀川豊彦、内村鑑三がいる。
夕暮れの中、互いに涙を流し、喜び溢れながら、神を賛美していた。
ただ、嬉しかったのだ。
皆、聖霊の愛に満たされていた。


夕焼けの向こうの教会
作者吉川 智明